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消えた幻の遊園地「レイクランド遊園地」 ~後編~

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最盛期年間30万人!消えた幻の遊園地。         偕楽園レジャーセンターレイクランド遊園地/後編

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 前回からの続き



 昭和43年10月20日、千波湖畔にオープンした「レイクランド遊園地」は年間20万人、最盛期では30万人もの多くの人が訪れ賑わいをみせた。ジェットコースターやメリーゴーランドなど80種類以上のアトラクションと、動物園や映画館などを併せ持ち茨城県内ナンバーワン規模のまさに夢の遊園地だ。








      往時の偕楽園レイクランド遊園地↓↓
イメージ 3










  しかし昭和56年、偕楽園レイクランド遊園地は存続を揺るがしかねない最大のピンチを迎える。










不運のレイクランド!千波湖周辺開発にともなう立ち退きに遭う


 昭和53年、「大規模公園構想」が計画された。大規模公園構想は自然と共生しながら自然豊かな都市公園を作るという計画で、その範囲は千波湖周辺から偕楽園一帯までを含む大規模な開発計画。

 レイクランドの開園が昭和43年だから、その後に開発計画が持ち上がったという事になる。

 そして昭和56年、偕楽園レイクランド遊園地がその開発計画の真ん中に位置しているため市議会ではレイクランドを残すのか撤去するのか様々な話し合いが行われた。市議会が出した結論はレイクランド遊園地を千波湖から撤去させるというもの。
 これにより、撤去といえども事実上の立ち退きを迫られる事になった。自然と共生するというコンセプト(目的)にそぐわなかったためなのか偕楽園レイクランドは開発からは外され立ち退きという結果に。市とレイクランドは共に歩み寄る事はできなかったようだ。まるで邪魔者扱いにされてしまったレイクランド、共に一体となった千波湖周辺開発ができなかったかと思うと実に惜しい。
 こうして、同昭和56年1月12日からモノレール、観覧車、アーチェリー、パットゴルフ場、湖畔茶店などをはじめとした施設の撤去が開始された。

 しかし、レイクランドはこの時点では閉園はせず別の場所への移転を模索していたようだ。その一連の流れは、茨城新聞が当時の様子を詳しく書いている。

以下参照

↓ ↓


 レイクランド撤去問題が具体化  /1981年(昭和56)1月29日茨城新聞


水戸市民など年間二十万人の利用者でにぎわう同市千波町のレイクランド(偕楽園レジャーセンター経営、黒沢福次社長)を、撤去させようとする動きが具体化してきた。二十八日開かれた市議会建設委(福島辰三委員長)で、綿引都市計画部長が明らかにしたところによると、千波湖周辺大規模公園構想に従い、五十六年度中には撤去の方向付けをまとめたい意向。自然を取り戻すための撤去計画だが、撤去と補償費用には三億円以上が必要とみられ、この費用を市が全面的に負担するとなると問題も出てきそう。
 また、利用者の多い施設だけに、存続を望む声も起こる可能性がある。市がこのような難問をどう処理するか、今後の課題となりそうだ。

 
 会社側も前向きに検討

 前嶋利平委員(共産)が「年間二十万人(うち市民は十四、五万人)」の利用者があるレイクランドを、大規模公園構想の中でどう処置するか」質問したのに対し、綿引部長は「構想のなかではレイクランドは撤去する方向に位置付けられている」としたうえで、「五十六年度中には(撤去の)方向づけをしていきたい」と、初めて撤去問題に具体的な見解を示した。
 
 レイクランドは千波湖西側の大規模公園構想の中心部にある。敷地面積三万四千平方メートルで、マイカーランドやお化け屋敷のほか、メリーゴーランド、コーヒーカップなどの遊戯施設をもつ。
 さる十二日からはモノレール、観覧車、アーチェリー、パットゴルフ場、湖畔茶店などの撤去作業を始め、跡地にはローラースケート場、子供広場などを建設する予定で、撤去と建設に要する費用は、約一億円(レイクランドの話)にのぼるという。
 市が撤去に向けて始動したことを、レイクランド側は冷静に受け止めている。黒沢社長は「行政サイドの方針は良識をもって尊重する」といい、レイクランド側でも撤去を検討していることを明らかにした。ただ撤去する場合、完全に閉鎖すると従業員三十人の雇用問題など、解決が困難な問題が残されることと、市周辺に遊園施設がなくなるので、移転も考慮しなければならないという。移転か閉園かは今後の課題だが、現在は移転を考えているようだ。
 レイクランド側が建設予定の50号バイパス近くに、用地を物色した経緯があるからで、黒沢社長は「撤去を考えるにしても行政との間で長期的な計画をつめなければならない」といい、撤去問題を検討する"土俵づくり”を望んでいる様子。レイクランド撤去問題も本格的に動かしそうだ。










【昭和56年12月】レイクランド社長、レイクランド解散を決断


 上の事から分かるように50号バイパス近くへ移転の方向で模索していたレイクランド。

 移転か、閉園かで揺れ動いていたが、レイクランド黒沢社長が出した決断は・・・・・






 レイクランドの解散






 いったいなぜ?
 
 移転せずに解散した理由については書かれていないので定かではないが、最盛期に30万人の賑わいを見せるも、年々徐々に人が減り、末期には累積赤字が1億2千万円に達していた事で移転する体力すら残っていなかったのではないかと思われる。





一連の流れについて、これまた恐縮だが新聞記事を引用↓↓



偕楽園レイクランド閉鎖へ 来年1月10日かぎり / 1981年12月11日(茨城新聞)


「レイクランド」の名で水戸市民などに親しまれている同市千波湖畔の偕楽園レジャーセンター(黒沢留次社長、資本金一億八百万円)が来年一月十日で閉鎖、解散する事になった。最近は人気が落ち、累積赤字が一億二千万円にも達するなど経営難に陥ったことが主な理由で、市内唯一の遊園施設が消える事になる。一方、レイクランド敷地は市有地で、施設撤去後に返還を受ける同市は、千波湖周辺大規模公園構想に従い、当面は芝生広場として活用する考え。
 レイクランドの閉鎖は、十日開かれた市議会建設委で、地主である市側が明らかにした。都市計画部は「今月七日付文書で、来年一月十日にレイクランド解散の申し入れがあった」と報告、「市としては申し入れを受けることにし、現在、施設撤去の条件などを検討中」とした。
 レイクランドは千波湖西側の大規模公園構想の中心部にあり、敷地面積は約三万四千平方メートル。ゴーカートや観覧車、スカイジェットなどの遊戯施設と小動物園などがある。去る昭和43年にオープン、最盛期は年間三十万人もの人出でにぎわったが、最近は施設規模が小さいことなどから人気が落ち込み、土・日曜日以外は閑散とした状況が続いている。
 偕楽園レジャーセンターが市に提出した文書によると、
 
 解散の理由は
  1・千波湖周辺整備構想の指定地区で将来共に安定経営は望めない
  2・地盤が軟弱で最近流行の大型機械が導入できない
  3・最小限、現在の三倍の敷地が必要だが、敷地拡大が望めない
  4・累積赤字が一億二千万円達し、
 こうした構造的悪条件から赤字解消は不可能に近いというもの。

 黒沢社長は「レイクランドは大型機械を入れられないし、敷地面積も狭すぎる。それに市が大規模公園構想を持っている所に居座っているわけにはいかない」と説明。敷地については「施設を撤去、地盤整備をしたあと三月から四月にも市に返還する事になるだろう」と話している。
 ただ、レイクランドには現在、二十四人の従業員がおり、黒沢社長は「なるべく(本社伊勢甚で)雇用を継続したい」としているが、従業員にとっては厳しい師走になりそうだ。
 敷地返還について市側も、「無条件でさら地として返してもらう考え」(大内都市計画部長)という。当面は植栽して芝生広場として活用する事になりそう。また、県が建設を計画している県立美術館の候補地は、水戸市内ではこれまで県消防学校跡地最有力とされているが、レイクランド跡地が市に返還される事で、候補地の一つとして浮かび上がる事も考えられる。
 一方、千波湖周辺大規模公園構想は、旧国道六号をはさんでその南側は県が担当。県も常磐陸橋近くのガソリンスタンド、旅館、料亭などの移転交渉を進めているが、「料亭は年内にも撤去作業が終わる見込みで、ガソリンスタンドと旅館も駅南地区に代替地を探しているところ」(県水戸土木事務所)という。


 
 この上の記事は実に絶望に満ちているが、わずかながら前向きさが見られる部分がひとつだけある。注目すべきはレイクランド黒沢社長の言葉。


「市が大規模公園構想を持っている所に居座っているわけにはいかない」


 なんの変哲もない言葉ではある。しかしこれまでの一連の流れをみると市議会ではレイクランドを撤去させようとする気運が高まり、アトラクションの撤去をさせた。そしてアトラクションが減ったレイクランドは更に人が減る。レイクランドちょっと困る。いやかなり困る。そして、大規模公園構想に伴い容赦ない無慈悲な立ち退き、しかし対するレイクランドは文句どころか協力的な姿勢で、市の邪魔をしてはいけないと地元を思い前向きな解散。むむむ、これぞ地元を想う優良な企業ではないか。









【昭和57(1982)年1月10日】 レイクランド閉園、解散。


 昭和57年1月10日。この日を最後に偕楽園レジャーセンターレイクランドは閉園・解散し、13年の歴史に幕を閉じた。

普段ガラガラな園内だがこの日は2000人の家族連れが訪れ、名残を惜しんだ。




 

 レイクランドが店じまい。二千人が名残惜しむ 1982年(昭和57)1月11日茨城新聞

 レイクランドの名で親しまれていた水戸市千波湖畔の偕楽園レジャーセンター(黒沢留次社長)がきのう十日を最後に"店じまい"閉鎖された。この日は約二千人の家族連れが訪れ、名残を惜しんでいたが、十三年間にわたって市内やその周辺のちびっ子たちに愛されてきた水戸の名所がこれでひとつ消えた。
 レイクランドは去る四十三年の秋にオープン。最盛期は年間三十万人の人出でにぎわったが、最近は施設規模が小さいことなどから客足が遠のき、累積赤字が一億二千万円にもなるなど、経営不振になった。このため、同社では昨日を最後にレイクランドを閉鎖することにしたもの。
 レイクランドはこのところ、正月三が日を除いてはガラガラだったが、きのうは名所を惜しむ家族連れなどが訪れ、ゴーカートや観覧車、スカイジェット、ローラースケートなどを楽しんでいた。市内から来たある家族連れは「レイクランドがなくなってしまうのは残念だが、赤字だということだし」と話していた。




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 ただ、閉鎖に伴って心配されるのは小動物園にいる動物たちの行方。一部報道では保健所行きになる動物も出るのではと指摘されたが、田中二郎支配人は「小動物園にはクマ、サルなど動物五十匹、鳥類百羽がいるが、一括で引き取ってもらう考え。そのめどはついている」と否定。無事、親切な飼い主の手に渡る事を祈りたいところ。
 レイクランドの施設撤去作業は今月中にも始まり、作業が終わり次第、"地主"の水戸市に返還される。同市では当面、芝生広場として使う考えだが、園内にあるローラースケート場だけは、そのまま残される事になった、という。










施設は撤去され完全に消滅したが、当時の人々の記憶と思い出に深く刻まれたに違いない。

そのちびっ子レイクランド世代は今ではすっかりもうおじさん、 おばさん すこし艶の入ったお姉さん。

 自分も含めて30代半ばくらいを境にそれ以前の若い人たちは偕楽園レイクランド遊園地を知らない。自分と同世代ではアイススケート場、キグレサーカス、巨大迷路、グリーンフェアは同じ世代だろう。


 なぜ千波湖に機関車が置いてあるのかと以前から疑問に思っていたが、レイクランド遊園地の展示物の名残であると知って納得。


そして、これが水戸史上で最初で最後の遊園地である事はまちがいない。


これからはおとぎ話の中に色あせず輝き続けるであろう。


こうして偕楽園レイクランド遊園地は、伝説を残して華麗に去って行ったのであった。


めでたし、めでたし。





  ~完~




















レイクランド閉園 その後




 閉園して役目を終えた偕楽園レイクランドのアトラクションたちは日立市かみね公園へ引っ越ししていったようです。場所を日立へあらため、レイクランドの意思を受け継ぎ再び運転再開です。

 かみね公園へ行けばレイクランドの往時を懐かしむ事ができるかも知れません。と言っても40年以上も経った今もなおまだ使われてるかは定かではありませんが、ビックリハウスはレイクランドのものを使い続けているとの情報あり。






撤去作業、来月中には終了  1982年(昭和57)1月31日茨城新聞

レイクランドの名で親しまれてきた水戸市千波湖畔の偕楽園レジャーセンター(黒沢留次社長)は、経営難などから去る十日に閉鎖されたが、その遊戯施設などの撤去が進められている。同社によると、来月二十日ごろには撤去作業が終わり、敷地は三月末には市に返還される。撤去された遊戯施設は日立のかみね公園に移り、小動物園の動物や鳥類は東茨城郡友部町の「友部グリーンビュー」に引き取られることが決まった。また、レイクランド入口にある蒸気機関車「デゴイチ」と存続要望の出ていたローラースケート場はそのまま残される事になった。







 レイクランドは去る四十三年(昭和)にオープン。市内唯一のレジャーランドとして最盛期は年間三十万人もの入場者がありにぎわったが、最近は施設規模が小さく流行の大型機械が導入ことなどから、客足が遠のいて経営が悪化。このため同社では「レイクランドは千波湖周辺整備構想の指定地区で将来とも安定経営は望めない」ことなどを理由に、去る十日に閉鎖、十三年余りの歴史を閉じた
 同社の黒沢社長によると、施設撤去作業は今月二十日ごろから始まり、来月二十日ごろには終了。敷地は三月末にはにはサラ地にして市に返還するという。園内にはいま三台の大型クレーンが入り、撤去作業を進めている。




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 メリーゴーランド、スカイジェット、豆列車、ゴーカートといった遊戯施設は日立市のかみね公園に移り、今度は日立市内のちびっ子に親しまれる。このうちメリーゴーランド、スカイジェットは移設後すぐにでも同公園に設置されるという。
 また、小動物園にいる、クマ、サルなどの動物五十匹、鳥類百羽は友部町の結婚式場「友部グリーンビュー」に引き取られることになった。撤去作業が終わる来月二十日ごろまでにはすべて移送を終わる予定。
 黒沢社長は「土地は何とか三月中に市に返したい。遊戯施設と動物は出来れば水戸市内の引き取り手を見つけたかったが、日立、友部といいところに縁付けできました」と話している。
 一方、レイクランド入口にある蒸気機関車「デゴイチ」とローラースケート場はそのまま残される。ローラースケート場は市内の唯一の施設とあって、県と市のローラースケート連盟から市に存続要望が出されていた。
 返還後の土地利用について市は当面芝生広場として整備する考えだが、県が計画している県立美術館の有力候補地と見る向きもある。








そして、動物たちは友部の結婚式場「グリーンビュー」へ引き取られた、とあります。

しかし結婚式場でなぜ動物。いったいどういうつながりがあるのだ。

演出か何かで新郎新婦と一緒にクマさん入場ってか?

手品で帽子から百羽出してみるとか?

ああ、もしかして料理に・・・・。

いったいどういうわけなのだ。

まったくの謎である。

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