<前回の続きから> |
<前回のあらすじ> とある週刊新潮の記者が東京葛飾区小菅にある東京拘置所へを訪れた。中川官房長官のスキャンダルを調査中で、そのカギを握る高橋義博被告(※この時一審で死刑、最高裁へ上告中)と面会し情報の収集を行うため。その時、後藤良治被告(※同じく、宇都宮監禁殺人事件で死刑判決を受け最高裁へ上告中)と出会う。 後藤は、「まだ明るみになっていない事件がある。どうせ死ぬならこれまでの罪を洗いざらい喋りきれいになって死んでいきたい。すべてを明らかにして被害者に償いたい」などと言い、まだ明るみになっていない3件の余罪事件について、記者にその詳細を語りだした。 また、自白動機の一番の根底にあるものは自分を裏切り騙した、事件の首謀者”先生”こと「三上静男」への恨みだと言い、まだ捕まらずののうのうと歩っているのは我慢がならない、同じ死刑の怖さを味わせたいと言う。”先生”への恨み、それはすなわち自白へのエネルギーとなり、死刑囚というのを忘れるくらいひたむきに協力的に”先生”の行った凶行の数々を記者へ暴露した。 しかし、凶行を信じてもらうためには嘘偽りの無い告発・上申書が不可欠だが、記憶が定かでないものや忘れているものもある。そこで、「牢の外へ出られない自分の代わりに記者が調べてきてくれ」と言い、記者が後藤の忘れかけた記憶を補完するべく手となり足となり各地へ赴き、現地調査・取材・聞き込みを行うことになった。
前回の記事「第一章」では、ノンフィクション小説『凶悪 ~ある死刑囚の告発~』を参考に後藤の証言の数々を書いてきた。今回「第二章」も『凶悪』を参考に事件の詳細を書いていこうと思う。あまりにも複雑、かつ巧妙な事件ゆえに、短くまとめてはみたものの、かなりの長文、引用の連続になってしまうがご了承ください。
なお、首謀者「三上静男」周辺」での連続不審死・未解決事件があまりにも多く、心当たりのある方は最寄りの警察署へ情報提供を(汗) |
<参考資料: ノンフィクション小説「凶悪 ~ある死刑囚の告発~」>
※フィクションじゃありません、実話です。
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※フィクションじゃありません、実話です。
茨城の凶悪事件 ―上申書連続殺人事件― 第2章 後藤の証言の検証と調査 |
<まえがき ~後藤の証言の検証~> 「第二章」では、前回に後藤が新潮記者に証言した3つの余罪事件について検証を行う。(後藤が記者に語った3つの余罪事件については前回記事参照) これらの後藤の証言はあくまで後藤の単独での話であるので、その情報は本当なのかどうか、嘘を言っていないかなど信憑性について検証する必要があった。 そして、聞き取りの際(前回記事参照)に、当時の現場の状況などについて、後藤は思い出せない忘れてしまっているものがあった。そこで、それらを勾留されて塀から出られない後藤の代わりに記者が各地へ赴いて関係者や住人などに聞き込みなどの現地調査を行い、後藤が忘れたものを明らかにしていく。同時に後藤の記憶違いだったものを訂正し、また、記者が行った現地調査により新たな事実が判明する。
上申書第1の事件 「大塚某殺害事件」についての検証 |
後藤から詳細な内容の聞き取りをした週刊新潮の記者は(以下、記者とよぶ)、まずは1件目の殺人事件、「大塚某殺人事件」について情報の信憑性について検証を行った。
しかしこの事件の主犯者は”先生”(三上静男)で、後藤はどこかの知らない男性の死体処理を手伝ったに過ぎず、被害者男性の「大塚」という苗字以外に何の情報も持ち合わせていなかった。そもそも「大塚」という名前は、”先生”がそう呼んでいただけで本名かさえ分からない。
よってこの事件に関しては、記者は小説「凶悪」の小説中に、「検証のしようがなかった」と振り返り、調査を断念している。
しかしこの事件の主犯者は”先生”(三上静男)で、後藤はどこかの知らない男性の死体処理を手伝ったに過ぎず、被害者男性の「大塚」という苗字以外に何の情報も持ち合わせていなかった。そもそも「大塚」という名前は、”先生”がそう呼んでいただけで本名かさえ分からない。
よってこの事件に関しては、記者は小説「凶悪」の小説中に、「検証のしようがなかった」と振り返り、調査を断念している。
よって、これにて調査終了。 |
なんという事だ、記者が速攻で調査をあきらめてしまった!しかもわずか7行くらい。頑張って小説を116pまで読み進めたのに、ここまで引っ張っておいてこれは無い。記者さん、せめてもうちょっと調べてくれ。
しかし、これでは当ブログ「いばらき解体新書。」の読者さんにもあんまりなので、あとで独自に第一の殺人事件「大塚某殺人事件」について少し調べてみようと思う。あとで別の記事にて掲載する(つもり)。
とりあえずその遺体を焼却した場所については、石岡に住む工務店経営または住宅関連会社の山田正一(仮名)の会社の敷地内の焼却炉。石岡市内、とでも言っておこう。
とりあえずその遺体を焼却した場所については、石岡に住む工務店経営または住宅関連会社の山田正一(仮名)の会社の敷地内の焼却炉。石岡市内、とでも言っておこう。
では、次へ。
上申書第2の事件 「倉浪篤二さん殺人・不動産略奪転売事件」についての検証 |
続いて記者は、第2の殺人事件「倉浪篤二さん殺人・不動産略奪転売事件」についての調査を開始した。調査当初は被害者男性の名前「倉浪」の最初の「倉」しか分からなかったが、記者が、被害者男性の埼玉県で調査を続けていくうちに本名「倉浪篤二」である事が分かった。(ここら辺の詳しいいきさつは、ノンフィクション小説「凶悪 ~ある死刑囚の告発~」を参照にして下さい。)
記者が、さいたま地方法務局・大宮支所(登記所)で登記簿謄本を調査したところによると、以下にまとめる。
➀<登記簿記録:大正15年>
被害者倉浪篤二さんの宅地は、大正15年に倉浪さんの伯父とおぼしき人物が購入し、居を構えている。隣接する畑は昭和22年に取得。伯父とみられる家に、倉浪篤二さんと、母親、兄の3人が同居。木造平屋の小さな小屋暮らし。
被害者倉浪篤二さんの宅地は、大正15年に倉浪さんの伯父とおぼしき人物が購入し、居を構えている。隣接する畑は昭和22年に取得。伯父とみられる家に、倉浪篤二さんと、母親、兄の3人が同居。木造平屋の小さな小屋暮らし。
➁<登記簿記録:昭和28年>
伯父とみられる男性が死去。しかし相続税が払えなかったためか、土地の権利は誰にも引き継がれない。
伯父とみられる男性が死去。しかし相続税が払えなかったためか、土地の権利は誰にも引き継がれない。
➂<登記簿記録:平成11年11月>
【妹(倉浪篤二さんの母親)に相続された】記載あり。それを経て【昭和42年。母親の死後、息子の倉浪篤二さんに相続された】という記載あり。
【妹(倉浪篤二さんの母親)に相続された】記載あり。それを経て【昭和42年。母親の死後、息子の倉浪篤二さんに相続された】という記載あり。
➃<登記簿記録:(上の記載のわずか13日後)>
上の➂の記載の13日後、【"売買が成立、先生"(三上静男)に所有者移転。】との記載あり。
上の➂の記載の13日後、【"売買が成立、先生"(三上静男)に所有者移転。】との記載あり。
➄<登記簿記録:上の記載の1か月弱に>
【 (三上静男が)1千平方メートルを超える土地を不動産業者に売却】との記載あり。
【 (三上静男が)1千平方メートルを超える土地を不動産業者に売却】との記載あり。
この登記簿記録から、倉浪篤二さんの不動産は誰かの仕業にによって短期間の間に目まぐるしく変化し、倉浪さんの土地は三上静男の手に渡り、そして業者に売却されていた事があきらかになった。
次に記者は、倉浪篤二さんの売却された土地へ赴いた。しかし、記者はそこで無残な光景を目にすることに。
次に記者は、倉浪篤二さんの売却された土地へ赴いた。しかし、記者はそこで無残な光景を目にすることに。
かつて倉浪家が生活していた痕跡などは一切なく、業者により宅地分譲され8棟の住宅が建っていた。 |
これはまことにヒドイ話だ!命を奪うだけではなく、骨の髄までしゃぶりつく、とんでもない悪魔だ!なんて野郎だ!倉浪さんが代々受け継いできたその大事な土地を、”先生”(三上静男)が不動産登記を変更する工作を行い、それらの土地を転売した。命を奪うにとどまらず、その財産、その土地、その全て、存在そのものさえも消し去ったのである!
この事から記者は、後藤が「1億にはならなかったが7千万円くらいにはなりました。」と証言した事に関して(※前の記事参照)、確信を得る結果に至った。
この事から記者は、後藤が「1億にはならなかったが7千万円くらいにはなりました。」と証言した事に関して(※前の記事参照)、確信を得る結果に至った。
――後藤の証言の相違点――
その他、後藤の証言にいくつか記憶違いな点を発見した。
(後藤が証言していた)「倉田篤二さんの自宅で変死体が発見された。じいさんがその死と何か関係があるようだ」 |
実際には倉浪さんと何ら関係はなく、近くの病院患者が倉浪家の裏の竹やぶに入り込んで行き倒れたところを発見された変死体だった。 |
次に記者は、後藤が証言した(※前回の記事を参照)、後藤や”先生”たちが倉浪さん北茨城で生き埋めにしたとする場所の特定の調査に乗り出した。後藤がうろ覚えだったため「北茨城インターチェンジを下りて西の方向に。広い土地。」程度のおおざっぱな情報しか出てこなく、調査は難航を極めた。
そこで記者は「住宅地図でもあれば思い出すかもしれない」と思い、住宅地図をコピーしてつなぎ合わせ、北茨城の西の一帯全部をカバーする地図を完成させた。
しかし4~5畳の巨大な物になってしまい、後藤に手渡す際に拘置所の受付の窓口で職員に変な顔をされた、というような事が書いてある。(そりゃそうなるわな!)
この巨大な住宅地図が功を奏したのか、後藤は記憶を呼び起こし、生き埋めにした場所について具体的な説明を始めた。と同時に、記者はその当該地(生き埋めにした場所)の不動産登記簿をチェックするべく管轄の日立市の水戸地方法務局・日立支局(登記所)へ足を運んだ。
そこで記者は「住宅地図でもあれば思い出すかもしれない」と思い、住宅地図をコピーしてつなぎ合わせ、北茨城の西の一帯全部をカバーする地図を完成させた。
しかし4~5畳の巨大な物になってしまい、後藤に手渡す際に拘置所の受付の窓口で職員に変な顔をされた、というような事が書いてある。(そりゃそうなるわな!)
この巨大な住宅地図が功を奏したのか、後藤は記憶を呼び起こし、生き埋めにした場所について具体的な説明を始めた。と同時に、記者はその当該地(生き埋めにした場所)の不動産登記簿をチェックするべく管轄の日立市の水戸地方法務局・日立支局(登記所)へ足を運んだ。
記者の賢明な調査により、生き埋めにした場所が判明。そこは『※北茨城市磯原町大塚』
※小説『凶悪』の文中には『磯原町○○』と小字の名前は伏せて書かれている。自力での調査で「北茨城市磯原町大塚 ○○○○番地」が判明したもの。この遺体生き埋め場所については、後で別記事にて掲載しようと思う(未定)
※小説『凶悪』の文中には『磯原町○○』と小字の名前は伏せて書かれている。自力での調査で「北茨城市磯原町大塚 ○○○○番地」が判明したもの。この遺体生き埋め場所については、後で別記事にて掲載しようと思う(未定)
また、記者が遺棄現場の周辺住民へ聞き込みを行った結果、新たな事実が明らかになった。その一連の流れについて、ここからは再び、小説「凶悪」から引用。
↓ ↓ ↓
(ノンフィクション小説『凶悪 ―ある死刑囚の告発―』から引用)
三~四メートルの小高い丘。そこにぼうぼうと生い茂る雑草は、高いもので五~六メートルほどはある。私はその前で呆然と立ち尽くしていた。容赦なく照りつける太陽の日差しで汗が滝のように流れ、スーツはびしょびしょになっている。車のラジオからは、甲子園の高校野球実況中継が流れていた。大型左腕としてプロが注目する、大阪桐蔭高校の辻内崇伸投手の快投を伝えるアナウンサーの興奮した声が、車外に漏れ聞こえた。
その土地は山間部に広がる、小さな丘と斜面から成る、広大な原野だった。”先生”の連絡先が書かれた看板を探すどころか、あまりの雑草の多さに、足を踏み入れることさえ難しい。本当にここだろうか。草は膝の高さどころではない。だいいちこれでは、後藤が言ったように、車で乗り上げるとか、穴を掘るなんて作業は難しいだろう。どうみても無理があるように感じられた。私の頭の中に、再び疑念が生じた。
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ただ、周囲を歩いてよく見てみると、車が入っていく入り口のような場所があった。実際、車が通って中に入っていったことをあらわす、古いタイヤ痕も見て取れた。今は夏なので、これだけひどい状態だが、後藤たちがきた冬場であれば、もう少し状況がちがうかもしれない。
私は、平成十年から近くに住んでいるという人たちに話を聞いた。後藤が、「遠くに灯りが見えた」という二軒の家である。そのうちの一軒の主の話。
「その土地は、うちの裏手だし、少し離れているので、よく覚えていないけど、自分たちが来た頃から、草がぼうぼうだったと思う。いずれ、そこも宅地造成されて住宅がいくつも建つようなことを言われていたので、私らはここに来たんですが、そんな気配がない。ここは山林で、水道も来ていないような場所なんです。東京の業者の謳い【うたい】文句にダマされて買ってしまったけど、裏手が住宅地になるようなことは、今後もないでしょう」
住民は業者に恨み骨髄といった態【てい】だったが、東京の業者とは連絡もとれなくなり、諦める【あきらめる】しかなかったという。水道は来ておらず、井戸水をポンプでくみあげ、家に引いている。もうすっかり慣れた様子だったが、いまだ真新しい、今風の瀟洒【しょうしゃ】な作りの家とのギャップが痛々しかった。
「ただ・・・・・」と、住民は言った。つづく証言に、私は思わず引き込まれた。
「去年(平成十六年) の秋頃、一度、ミニユンボが、裏の土地の一角に止まっていたんですよ。散歩しているときに気づきました。 それで、いよいよもしかすると造成が始まるのかな、と期待していたんです。分譲されて、家が何軒も建てば、行政も動いて、水道くらい引いてくれるかもしれないでしょう。 普通、ユンボの車体には企業名が書かれているのに、何も書かれていなくて、変なユンボだった。車体の名前や電話番号などの連絡先を、ペンキか何かで塗って、消しているようでした。いつ動かしたのか分からないが、見ていないときに何かの作業はしたみたいですよ。入り口を作ろうとしていたのか、十メートルくらい先まで人が入れるように草がかきわけられ、道ができていました。まずは、ミニユンボで生い茂った草をなぎ倒し、通路を造って、そこから大きな機械を入れて工事をはじめるのかな、と思ったんです。 だけど、結局、小さな道を作っただけで、本格的な工事は行われず、十日ほどしてミニユンボは消えてしまった。そしてまたすぐに、草ぽうぼうの状態に戻ったんです。何をしたかったのか、目的がまったく分からない。普通、工事は日中やるものなのに、どうも暗くなって、人が通りがからないときにやってるようだったし。でも、三上さんという人は知らないし、自分たちの不動産購入の関連では一切、出てきていません。その会社名も聞いたことがない。お宅が問題にしている裏手の土地に、三上さんだかの看板があったかも、見たことがないので分かりません。だけど、反対側の土地に、右翼団体がプレハブ小屋と看板を建て、街宣車を四、五台置いて、若い連中が出入りしていたのは事実です。何年か前にやってきて、基礎を作り、二階建ての建物を建て始めた。役所に届けず勝手に作っていたので、市の行政指導で撤去させられ、今年の初め頃だったか、いなくなりました。その右翼がいた土地にしても、三上さん関連の土地だとは知りませんでした」
そして、期待を裏切られたときの感情を思い出したように、もう一度つぶやくように言った。
「それにしても、本当にあのユンボは何だったんだろう・・・。」
〈控訴審判決で死刑判決が出たばかりの後藤が、藤田の自殺もあって、思ったより早く騒ぎはじめた。上告はしたものの、死刑確定の流れが固まった。そうなると、後藤がいつ余罪殺人事件を暴露するか分からない。もはや永久に口を封じておくのは困難だろう。しかし、無駄な大金は使いたくない。これまで話を先延ばしにしてきたが、これは、本格的に証拠漂を済ませておかねばなるまい。後藤が余罪事件を告白するという最悪の事態に備えて>
”先生”は人目を避けながら、ミニユンボを使い、倉浪さんの遺体もしくは遺骨を掘りかえした。そして、後藤が見当もつかないような、まったく別の場所に埋めなおした。これで、遺体のありかを知るものはいなくなった。倉浪さんの遺体という最大の物証を、暗い地中深くに隠匿し、永遠に完全に事件を闇に封印した。
(ノンフィクション小説『凶悪 ―ある死刑囚の告発―』から引用)
三~四メートルの小高い丘。そこにぼうぼうと生い茂る雑草は、高いもので五~六メートルほどはある。私はその前で呆然と立ち尽くしていた。容赦なく照りつける太陽の日差しで汗が滝のように流れ、スーツはびしょびしょになっている。車のラジオからは、甲子園の高校野球実況中継が流れていた。大型左腕としてプロが注目する、大阪桐蔭高校の辻内崇伸投手の快投を伝えるアナウンサーの興奮した声が、車外に漏れ聞こえた。
その土地は山間部に広がる、小さな丘と斜面から成る、広大な原野だった。”先生”の連絡先が書かれた看板を探すどころか、あまりの雑草の多さに、足を踏み入れることさえ難しい。本当にここだろうか。草は膝の高さどころではない。だいいちこれでは、後藤が言ったように、車で乗り上げるとか、穴を掘るなんて作業は難しいだろう。どうみても無理があるように感じられた。私の頭の中に、再び疑念が生じた。
ただ、周囲を歩いてよく見てみると、車が入っていく入り口のような場所があった。実際、車が通って中に入っていったことをあらわす、古いタイヤ痕も見て取れた。今は夏なので、これだけひどい状態だが、後藤たちがきた冬場であれば、もう少し状況がちがうかもしれない。
私は、平成十年から近くに住んでいるという人たちに話を聞いた。後藤が、「遠くに灯りが見えた」という二軒の家である。そのうちの一軒の主の話。
「その土地は、うちの裏手だし、少し離れているので、よく覚えていないけど、自分たちが来た頃から、草がぼうぼうだったと思う。いずれ、そこも宅地造成されて住宅がいくつも建つようなことを言われていたので、私らはここに来たんですが、そんな気配がない。ここは山林で、水道も来ていないような場所なんです。東京の業者の謳い【うたい】文句にダマされて買ってしまったけど、裏手が住宅地になるようなことは、今後もないでしょう」
住民は業者に恨み骨髄といった態【てい】だったが、東京の業者とは連絡もとれなくなり、諦める【あきらめる】しかなかったという。水道は来ておらず、井戸水をポンプでくみあげ、家に引いている。もうすっかり慣れた様子だったが、いまだ真新しい、今風の瀟洒【しょうしゃ】な作りの家とのギャップが痛々しかった。
「ただ・・・・・」と、住民は言った。つづく証言に、私は思わず引き込まれた。
「去年(平成十六年) の秋頃、一度、ミニユンボが、裏の土地の一角に止まっていたんですよ。散歩しているときに気づきました。 それで、いよいよもしかすると造成が始まるのかな、と期待していたんです。分譲されて、家が何軒も建てば、行政も動いて、水道くらい引いてくれるかもしれないでしょう。 普通、ユンボの車体には企業名が書かれているのに、何も書かれていなくて、変なユンボだった。車体の名前や電話番号などの連絡先を、ペンキか何かで塗って、消しているようでした。いつ動かしたのか分からないが、見ていないときに何かの作業はしたみたいですよ。入り口を作ろうとしていたのか、十メートルくらい先まで人が入れるように草がかきわけられ、道ができていました。まずは、ミニユンボで生い茂った草をなぎ倒し、通路を造って、そこから大きな機械を入れて工事をはじめるのかな、と思ったんです。 だけど、結局、小さな道を作っただけで、本格的な工事は行われず、十日ほどしてミニユンボは消えてしまった。そしてまたすぐに、草ぽうぼうの状態に戻ったんです。何をしたかったのか、目的がまったく分からない。普通、工事は日中やるものなのに、どうも暗くなって、人が通りがからないときにやってるようだったし。でも、三上さんという人は知らないし、自分たちの不動産購入の関連では一切、出てきていません。その会社名も聞いたことがない。お宅が問題にしている裏手の土地に、三上さんだかの看板があったかも、見たことがないので分かりません。だけど、反対側の土地に、右翼団体がプレハブ小屋と看板を建て、街宣車を四、五台置いて、若い連中が出入りしていたのは事実です。何年か前にやってきて、基礎を作り、二階建ての建物を建て始めた。役所に届けず勝手に作っていたので、市の行政指導で撤去させられ、今年の初め頃だったか、いなくなりました。その右翼がいた土地にしても、三上さん関連の土地だとは知りませんでした」
そして、期待を裏切られたときの感情を思い出したように、もう一度つぶやくように言った。
「それにしても、本当にあのユンボは何だったんだろう・・・。」
〈控訴審判決で死刑判決が出たばかりの後藤が、藤田の自殺もあって、思ったより早く騒ぎはじめた。上告はしたものの、死刑確定の流れが固まった。そうなると、後藤がいつ余罪殺人事件を暴露するか分からない。もはや永久に口を封じておくのは困難だろう。しかし、無駄な大金は使いたくない。これまで話を先延ばしにしてきたが、これは、本格的に証拠漂を済ませておかねばなるまい。後藤が余罪事件を告白するという最悪の事態に備えて>
”先生”は人目を避けながら、ミニユンボを使い、倉浪さんの遺体もしくは遺骨を掘りかえした。そして、後藤が見当もつかないような、まったく別の場所に埋めなおした。これで、遺体のありかを知るものはいなくなった。倉浪さんの遺体という最大の物証を、暗い地中深くに隠匿し、永遠に完全に事件を闇に封印した。
後藤・三上静男らが、倉浪さんを生き埋めにしたとされる北茨城大塚○○○○番地の三上所有の空き地。グーグルストリートビューで確認する。確かに草ボーボーだ。確かにこれでは人が入っていくようなスペースもない。遺棄しても分からないだろう。
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しかし、それにしてもこんな草ボーボーな広い土地を、一度埋めた遺体を再び掘り起こすなんて可能なのだろうか??目印なんかを立てておけば分かりやすいが、あえてそんな事する訳はないだろう。
一応、三上が遺体を掘り起こしに成功したのかは定かではなく、掘り起こしに成功して別の場所に埋めたのか、それともまだ埋まっているのか、その真実は”先生”(三上静男)自身しか知らない。※のちに茨城県警が後藤を立ち会わせこの土地において遺体捜索を行うことになる。
一応、三上が遺体を掘り起こしに成功したのかは定かではなく、掘り起こしに成功して別の場所に埋めたのか、それともまだ埋まっているのか、その真実は”先生”(三上静男)自身しか知らない。※のちに茨城県警が後藤を立ち会わせこの土地において遺体捜索を行うことになる。
<まとめ> 倉浪篤二さんの不動産は”先生”(三上静男)に名義変更され、それらすべて不動産屋に売却され、”先生”は数千万円の金を手にした。 体遺棄現場については後藤の証言は正しかったが、<後藤が死刑になった事で、後藤が開き直ってなげやりになったり、心を改めこれまでの行いを暴露する>事を三上静男は予見し、ミニユンボで遺体を堀り直し、別の場所に埋めた可能性がある事が分かった。
上申書第3の「阿見町カーテン屋保険金殺人事件」について の検証 |
次に記者は、第3の事件「阿見町カーテン屋保険金殺人事件」についての検証に着手した。後藤は、被害者の男性を第2の事件同様に苗字の1文字だけ、「栗○」しか思い出せなかった。そこで、変死事案や自殺事案が新聞記事になっていないかを水戸市内の図書館や国会図書館で調べたが、どこにも書いていなかった。(笠間署管内では自殺事案は広報していないという。)
しかし、記者の賢明な調査により被害者男性は「栗山裕【クリヤマヒロシ】」である事が分かった。
記者が更に調査を進めていくと、栗山裕さんが行き倒れた状態で発見されたのは平成28年8月15日、笠間市から七会村(現在城里町)に抜けたあたりの山道で、すでに死亡しており、警察の検視の結果、自殺か病死と判断された。実際は、前回記事で挙げた後藤の証言の通り、栗山裕さんは高濃度のアルコールを無理やり飲まされ殺害された訳だが、”先生”(三上静男)が、殺害した栗山さんの胃にホースを挿入し洗浄し、遺体を冷水で冷やし死後硬直を遅らせるなどして証拠隠滅を図り、この事が影響してか警察に事件性無しと判断された。
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しかし、記者の賢明な調査により被害者男性は「栗山裕【クリヤマヒロシ】」である事が分かった。
記者が更に調査を進めていくと、栗山裕さんが行き倒れた状態で発見されたのは平成28年8月15日、笠間市から七会村(現在城里町)に抜けたあたりの山道で、すでに死亡しており、警察の検視の結果、自殺か病死と判断された。実際は、前回記事で挙げた後藤の証言の通り、栗山裕さんは高濃度のアルコールを無理やり飲まされ殺害された訳だが、”先生”(三上静男)が、殺害した栗山さんの胃にホースを挿入し洗浄し、遺体を冷水で冷やし死後硬直を遅らせるなどして証拠隠滅を図り、この事が影響してか警察に事件性無しと判断された。
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<補足> 栗山裕さんは阿見町でインテリアショップを経営していたが、数年前に経営難からショップは倒産。家や店には借金取りが押し寄せた。自宅を出て身を隠していたが、ほどなくして死亡した。七会村下赤沢の林道で倒れているのを発見された。すでに死亡していた。警察は事件性無しとして判断、病死か自殺として処理した。地元の一部では、自殺として認識していた。'''
このほか、記者はある不審な点に気が付いた。 |
――<不審な点 その1 >――
栗山裕さんは6千万円の借金をしており、保証人はその家族名義になっていた。栗山さんの死で、家族は路頭に迷い、自宅は借金のカタに取られると思いや、家族はそこに住み続けていた。それは後藤の証言通り、栗山裕さんが保険に加入していた訳だが・・・。
記者が不動産登記を調べてみると、夫(栗山裕さん)の死後、妻に相続された自宅などが競売にかけられていた。しかし、前回の記事で後藤の証言に登場した、栗山裕さんの殺害を仲介した山田正一(仮名)が競売の入札に参加し、栗山家の自宅を落札し、そのまま家族を住まわせ続けていた事が分かった。実際は前の記事の後藤の証言通り、殺害されている。
栗山裕さんは6千万円の借金をしており、保証人はその家族名義になっていた。栗山さんの死で、家族は路頭に迷い、自宅は借金のカタに取られると思いや、家族はそこに住み続けていた。それは後藤の証言通り、栗山裕さんが保険に加入していた訳だが・・・。
記者が不動産登記を調べてみると、夫(栗山裕さん)の死後、妻に相続された自宅などが競売にかけられていた。しかし、前回の記事で後藤の証言に登場した、栗山裕さんの殺害を仲介した山田正一(仮名)が競売の入札に参加し、栗山家の自宅を落札し、そのまま家族を住まわせ続けていた事が分かった。実際は前の記事の後藤の証言通り、殺害されている。
――<不審な点 その2 >――
(記者にもたらされた、ある関係者が証言内容で、)
「栗山裕さんが、会社を受取人にする生命保険に入っていたのは事実だ。保険会社はE社。途中で受取人が妻に変更されています。死亡の直前に妻がまた受取人を会社に戻そうとしたが間に合わなかった。しかし妻を受取人にして間違いなく保険金が下りている。しかも、その契約金額は当初八千万だったが、死の直前、さらに保険金が増額され、最終的に1億円近くになっていました。」
「栗山裕さんが、会社を受取人にする生命保険に入っていたのは事実だ。保険会社はE社。途中で受取人が妻に変更されています。死亡の直前に妻がまた受取人を会社に戻そうとしたが間に合わなかった。しかし妻を受取人にして間違いなく保険金が下りている。しかも、その契約金額は当初八千万だったが、死の直前、さらに保険金が増額され、最終的に1億円近くになっていました。」
この事から、誰かの指示により妻が意図的に保険金を増額させた事が判明し、後藤の証言は正しかった事が証明された。
という事で、第二章も、物凄く長くなりましたが以上です。
この第二章では『後藤の証言内容が正しいか、という事で記者が検証を行い、おおむね後藤の言っていたことは正しいという事が取材結果から証明された。』という事を書きましたが、これでまだ終わりではありません、まだまだ続きます!
次回は、後藤が新たに証言した第4の事件、第5の事件、そして、後藤自身も知らない”先生”(三上静男)にかかわった人に訪れる連続不審死について。
”先生”(三上静男)と関わった人たちには<自殺>、<変死>、<衰弱死>次々と不幸が訪れます。しかも、”先生”の完璧な証拠隠滅により、現在までに、どれもひとつとして解決には至っておりません。
次回、第三章は、”先生”と関わり合いを持った人たちに訪れる謎の不幸の死について書いていこうと思います。。。。。。。
次回へ続く→→
(調査中)
(調査中)