【謹賀新年】新年明けていましたおめでとうございます
(アニメ映画もののけ姫より)
新年がいつの間にか明けていましたが、本年もよろしくおねがいします(`・ω・´)ゞ
昨年はあまり記事が書けなかったので、今年はたくさん書いていきたいです(*^。^U
今年は郷土史・歴史の記事と地元ねたローカル記事を基幹として充実させるとともに、なんとなくケーズデンキでノリで買ってきたパソコン用3Dグラフィックソフト「Shade」を活用したビジュアル解説的な記事を書けたらと思います。(が、編集画面さっぱりわからん。早速挫折しそうです)
また、音楽趣味のへたくそなギター・ピアノ(安い電子ピアノ)、従来通り事件、事故、災害、防衛・ミリタリーなどの情報発信とその情報共有、その他いろいろ載せていきたいと思います。
本年もよろしくおねがいします。
常磐神社初詣 / 2018年元日
今年の初詣は水戸市常磐神社へ。ほんとは天狗党ゆかりの筑波神社へ行きたかったのですが正月も副業を休みなく働いてるもので時間が無く、休憩の間に近くへ。
夕方なので空いてると思ったら混雑しておりました。参拝に35分待ちでした。しかし後で気づきましたが混雑の列は真ん中の賽銭箱の列で、両側の賽銭箱は並ばなくていいみたいで待ち時間ゼロでした。並ぶ必要のない列に35分も並んでしまいました(笑)
おみくじは。。。。。。
です(-ω-)/
常磐神社境内 三木神社
ついで三木神社にも参拝してきました。
しかし、照明が無い事もあり誰もいない・・・・・
しーん・・・・。
この神社わりと重要な存在なのですが、人気がないようなので、早速この神社の歴史を調べてみましょう(-ω-)/
この神社について語ると、徳川光圀公が生まれた時にさかのぼります。
光圀公のお母さんは谷久子、または、お久の方(靖貞夫人)といい、水戸藩初代藩主徳川頼房の側室でした。
谷久子がお腹に光圀を身ごもった時、頼房公から、「お腹の子は水(水子)にするように」と命ぜられました。
まあ、今の言葉で置き換えると「堕ろしてくれ~」とか、「妊娠中絶せよ」でしょうか。昔は避妊具とか無かった時代ですから、光圀公の妊娠は頼房公にとってみては望まぬ妊娠であったと言えますでしょうね。
のちに、光圀公は自身が隠し子であったと知り、グレて不良になってしまうのは有名な話ですね。しかし自分が生まれてきてはいけない存在だったなんて知ってしまってはグレても致し方ないですよね('ω'U 「オレなんてどうでもいいんだ、もうどうでもいいんだ、ばかやろーグレてやる!」ですよね。(※これには諸説あります)
そこで、
水戸藩家臣の三木仁兵衛之次(ゆきつぐ)の取り計らいにより保護し、水戸柵町(現・三の丸2丁目)にあった三木仁兵衛之次の屋敷内において、頼房には内緒で無事出産したわけです。
その後も幼少期はこの三木夫妻に育てられました。(当初表に出てはいけない存在でしたが、そのあと父である頼房と対面して公式に認められています)
てな事で、
三木仁兵衛之次がいなかったら、水戸黄門は存在していなかったかも('ω'U
という事で、三木神社も目を向けてみてください。
そして、本年もよろしくおねがいします(`・ω・´)ゞ